明治7年当時の安曇郡細野村 提供者:高田 泉 様
幕藩体制下、封建社会の末端組織として村落共同体がつくられた。
江戸末期の安曇郡には7組179村の村落共同体があった。藩は、村の上層部の人びとを村役人に任命し、五人組などの組織を作らせて連帯責任をとらせることによって秩序を維持していた。
近代になってからも村落共同体はそのまま字(あざ)となる場合が多く、今も字名などにその名残を残し、生活を営む上での単位となっている。
(安曇の100年 郷土出版社より)